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ジャズの精神

ジャズには「カバー」という概念がありません。

「枯葉」や「On Green Dolphin Street」といった、誰しもが演奏する“古典”のことを「スタンダード」と言いますが、それを演奏する行為を「カバー」とは言いません。カバーという行為は当たり前すぎるため、特別な単語が定義されない、といった感じでしょうか。

高槻は勝手に「ジャズの精神」なるものを定義しています(^^)

ジャズはアンサンブルよりソロが重要ですし、ソロのバッキングであっても、常に自己主張のある演奏でなければなりません。ジャズ屋さんは、自分の演奏を曲調に合わすようではダメで、曲の方を自分流に変えてこそジャズなのです。例えば、演奏中につまらないと感じる曲があれば、それは曲が悪いのではなく、そんな演奏しかできない奏者の方がヘボなのです。

とにかく「自分ならこうする」という創意工夫の固まりこそがジャズなわけです。

バップ(Bop)は今でこそ古いジャズの代名詞ですが、登場した1940年代は最先端でした。ジャズ史100年の中でも、最も変革が大きかったのが、このバップの登場です。というのは、それまでジャズは白人のダンスのための音楽でした。それを、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーといった黒人プレーヤーが「自分達の音楽を」という精神で、それまでの流儀を壊して出来上がったスタイルがバップなのです。

高槻はこの“フロンティア精神”こそが「ジャズの精神」ではないかと思っています。